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History of establishment

 

 当社創業者、山縣章宏は、昭和32年頃、呉服店での勤務を経て、地元児島の地場産業である学生服襟芯の製造販売を業としていた。
 当該縫製メーカーに出入りする内に、学生服の裁断台に木製の板が使用され、ノミの切傷のため損傷も激しく、絶えず新品のものと取替える必要があることを知った。
 そこで、章宏はこれをプラスチック製に変更すれば、耐久性も向上し、需要も見込めるのではと思い、縫製メーカーに提案したところ、爆発的に売れ、一時期、随分儲かったとの事である。
 しかし、裁断方法も技術革新により、従来の手ノミ裁断から電気裁断に代り、当該プラスチック製裁断台の需要は激減した。
 そこで、今度は、このプラスチック製シート(薄板)を裁断し、プラスチック製まな板の製品開発を思い付いた。
 従来、まな板の素材は、木製が当り前であったが、発想転換し、まな板の素材として使用すれば、切屑も発生せず耐久性、清潔感もあり、需要もあるのではと思い、販売したところ、予想以上の反響があり、売上増進に貢献した。

 

 次に、妻、山縣静子は、薄いまな板用シート数枚を重ね、その縁を加熱融着(ヒートシール法)することにより、古くなった外側の使用済まな板を剥がし再使用できるので、1枚ものまな板に比べ、数倍も長く使える積層(はがせる)まな板を製品開発及び特許権取得(考案、出願人 静子)し、販売したところ、業績は著しく向上し、今日発展の基礎を作った。
 ついで、章宏は、シートを裁断した後の端切れ(端材)を有効活用するため、当該端材を材料として、おむすび成型器を考案及び製品化し、今日の料理道具参入の基礎を作った。
 又、当該シートを自社で製造できるかどうかの可否を探るため、ポリエチレンのペレット(丸薬状のもの)を、テフロン加工した家庭用フライパンで溶融し、ペレットの最適形状、溶融温度、フライパンからの剥離の有無等を研究、そして試行錯誤の上、試作品の開発に成功し、量産化の目途を得た。
 そこで、自社で設計、製作したテフロン加工を施した鋳物(SS400)の窯で溶融、成形し、シートの一部を自家生産する一貫生産システムを構築した。
 このように、章宏夫妻は、当社発展の基礎を作ったが、生産システム構築、技術力・ノウハウの創造、新製品開発・製品化は、すべて両人の独自能力によるものであり、一切他社の模倣はなく、結果的に両人が、日本で初めてプラスチック製まな板、料理道具を製造した。
 その後、ペレットを自社で溶融するための工場建設等、業容は飛躍的に拡大した。

 

 今日、厨房品業界のチャネルキャップテンは、大手一次卸売業者であるが、未だチャネルの確立していない当時、全国の卸売業者より、当社の取扱い製品を購入したいとの申入れも多く、ハウスマークである「ヤマケン」及びその他商品等表示は、業界では周知商標となった。
 尚、当社の商品等表示に周知性が認められるようになった要因は、上記創業者の斬新なアイデア、優れた技術開発力に依るところが大きいが、同時に販売促進策として行った次の戦略も、同様に、有効に機能したと思われる。

 


 章宏夫妻は、日本で初めてプラスチックまな板を考案し、積層(はがせる)まな板の商品開発及び特許権を取得したが、当然ながら販売先は皆無であった。
 そこで、市場開拓のためエンドユーザーである魚屋、料理店等は必ず仕入のため魚市場に立ち寄る筈であると考え、全国の魚市場の軒下を借り、露天商の如く当該エンドユーザーに対し現金決済による直販を実施した。
 エンドユーザーが魚市場に立ち寄るのは、午前5時頃であるため、深夜午前3時頃より魚市場内で場所取りを行った。従って、旅館には宿泊せず、プラスチックまな板を積載していたトラックの中で寝る(当時の平均睡眠時間3時間程度)ことも多かった。
 即ち、製品は製作したが、得意先は皆無のため、エンドユーザーが集まる場所に乗り込み、祭の野師(的屋)の様な商売をしていたと言うのである。このような地道な努力及び従来、木製が当り前であったまな板をプラスチックに変えると言う斬新なアイデア、積層(はがせる)まな板の特許権取得も功を奏し、その後、魚市場内の厨房用品専門店よりプラスチックまな板を販売させて欲しいとの依頼が入るようになった。

 

 次いで、そのことが当該専門店に出入りしている全国の1次卸、2次卸の知るところとなり、同様に取引き依頼もあり、得意先も増加し、信用取引の基礎が確立したのである。
 章宏は、当初、厨房用品業界のチャネルの実態については不知のため、全国の卸売業者に対し章宏より取引を依頼したことは殆どなかった。

 

 章宏自身は、当然ながら経営学を十分修得していた訳ではないが、結果的に同人が実践した販売戦略は、今日、典型的な販促戦略と言われる「プッシュ戦略」そのものであり、評価に値する。その後、新聞、業界誌への広告掲載、テレビ宣伝等も継続的に実施しているので、「プル戦略」も併せ実施し、技術革新(産業財産権取得)、新製品開発、独創的なチャネル開拓・販売戦略等、シナジー効果により飛躍的な発展の基礎が構築された。

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